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*池辺晋一郎のチャイコ弦セレ考を読んだ [#b8099124]
2012/06/21 - 池辺晋一郎, チャイコフスキーの音符達−弦楽セレナード [1,2]より
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 チャイコの弦セレこと,チャイコフスキーの弦楽セレナーデ(セレナード)ハ長調 作品48は,某人事のCMで一気に有名になった曲であり,第1楽章の冒頭を1回聞けば誰もが あぁあれね と思うこと間違いなしである.非常にファンが多い曲であり,僕も大好きな曲の1つである.文献[1]中でも触れられている小澤征爾の棒によるサイトウ・キネン・オーケストラの1992年版は耳にタコができるほど聴いた.最近復帰後2010年版も聴いたが,1楽章のコーダ(序奏が再登場するところ)の直前を耳を澄ませて良く聞くと小澤氏のものと思われる唸り声のようなものが聴こえてくる(決してホラーの類いではないと信じたい).それに呼応するかのようなコーダの第一音はまさに神憑りというに相応しい,奇跡のような荘厳たる響きを奏でている.

 話が反れた.僕は常々この曲の調性選択とか旋律の単純さに相反する響きの厚さとか,そういうものに疑問を持っていた.自身も(サクソフォンによるトランスレーション版であるが)演奏の経験があり,演奏を作っていく過程で様々に学んだものであるが,全部が解決していたわけではなかった.もちろん池辺氏による解説[1,2]が全ての答えを含んでいるわけではないが,あぁそういうことか,というような納得が得られたのは確かである.

 まずは調性から.この曲はハ長調と銘打ってはいるが,初っ端の出だしはイ短調の主和音である([3]に音源と楽譜がある).これは聞けば分かるがなかなかにショッキングである.某人事某人事のCMがなかなかのショッキング度合いを出しているのはこの出だしに依るところが大きいだろう.しかし序奏のフレーズの終わりは完全なハ長調の主和音となっており,実はこの曲全体を通して全てがこれに収束する.1楽章はハ長調→ト長調→ハ長調,2楽章は一貫してニ長調で3楽章はト長調だが,4楽章の第一主題(Allegro con spirito)よりハ長調になり,その後変ホ長調を経て紆余曲折した後にMolto meno mossoの序奏再登場(ハ長調)となり終曲を迎えるという形である.調性選択については現代音楽作曲家の吉松隆氏が記事を書いている[4]が,弦楽器の得意分野は♯系の調であり,そういう意味ではト長調・ニ長調はすごく納得がいくが,ハ長調は微妙である.基本的ゆえにあまり選択されない傾向にあり,人が馴染みやすいが逆に単純に聴こえてしまうという調である.だが,この曲はハ長調以外あり得ないと断言する.ピッチ変更のできるオーディオ再生機器やソフト(たとえばRealtek HDオーディオマネージャとか)を使って実際に変えてみると全くしっくりこない(聞き慣れているせいというのは大いにありえるが).ハ長調の真っ向勝負的な響きが,身体にスーッと染み込むような,そんな感じである.4楽章の元となった民謡の原調がハ長調だから偶々そうなったという可能性もなくはないが,おそらくは音の構成や展開,フレーズの重ね方などの複雑さに対して,根本となる調や旋律を限りなく単純化させることで,過剰に複雑さを増すことを回避させた結果,あの不思議な厚さに浸ることができるようになったのだと考える.

 次に旋律についてであるが,これについては[1,2]を読んでもらうのが手っ取り早い.要は,チャイコフスキーは音階の作曲家であると言われているし,もちろん文献中でもそう言われているが,それ以上に単純さの中に含まれる,技巧的だが目立ちにくい,別に隠したわけじゃないんだけど隠し味的な働きのする数々の要素が,この曲の豊かな響きに繋がっているのだ,ということである.文献中に譜例が結構出てるし,ISMLPから実際の譜面も落とせるので多くは言及しないが,例えば以下の譜面,
#ref(a.png)
は,まさに音階そのものである.それなりに楽譜が読める人なら,以下のような一つの流れが浮かび上がってこないだろうか.
#ref(b.png)
もちろんこれだけ演奏してもなんの面白みもないフレーズでしかない.如何に巧みにでも自然に厚く作るかという問題の一つの答えが,この弦セレなのだと思う.

 池辺氏による「もしあーだったらこーなってたろうなぁな弦セレ」の譜例は非常に面白いし勉強になった.まるで関数最適化のアニーリング法みたいな感じで最適解に落ちていった結果がこの旋律なんだ,と言っているかのようであった.

 池辺氏の記事の使い方(?)であるが,最初に全体を通して曲を聞き,記事を読みながらかい摘んで曲を聞き,記事を読み終えてからもう一度通しで聞く,という感じにすると弦セレが3回くらい楽しめる.1粒で3度おいしい,というわけである.&br;
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''参考文献''

[1] 池辺晋一郎,チャイコフスキーの音符達−弦楽セレナードその1,音楽の友5月号,pp.124-126,2012. &br;
[2] 池辺晋一郎,チャイコフスキーの音符達−弦楽セレナードその2,音楽の友6月号,pp.94-96,2012. &br;
[3] ISMLP,Serenade for String Orchestra, Op.48 (Tchaikovsky, Pyotr) / http://bit.ly/M8TzDB &br;
[4] 吉松隆,作曲家はどうやって「調性」を選ぶのか? / http://yoshim.cocolog-nifty.com/office/2009/07/post-68e5.html &br;

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